Ethical に暮らすということ



Ethical = 倫理的な、道徳的な

Ethical Living という言葉を知ったのは確か、何年も前に偶然たどり着いたWeb サイトででした。

その日私は、お風呂場の頑固な汚れを掃除していました。お風呂の汚れ落としスプレーのあまりのキツさに目をツンツンさせつつ、ふと思いました。

この洗剤、どこに流れていくんだろう ?

こんなに小さな粒子になっても換気をせずにはいられないほどの強い化学薬品が、そのまま排水溝に流れていきます。お風呂場はきれいになったけど、これって・・・。



その後、何かもっと自然な掃除方法はないかといろいろ検索しているうちにたどり着いたページでした。Ethical 関連では歴史の深い、イギリスからのサイトでした。

そこのサイトは、Ethical に生きる、というテーマで、掃除方法に限らずそれこそあらゆる日々の営みの中での指針、というか、方向性が書いてありました。肝心のどこのサイトだったかまでは覚えていないのですが。

今でこそ、Ethical という言葉をちらほら聞くようになってきましたが、当時はほんとに目が覚めた気がしました。それまでもなんとなくやっていたこともあったのですが、そのように「主義」を持ってやっていたわけではなかったからです。

例えば、同じ節水でも、「お金を節約するために」するのと、「水には限りがあるから」するのとでは、結果は同じでも主義が違います。どちらが上とか下とかいうことではなく、出ずるところが違うのです。



それ以来、何か行動を起こすときに「自分にとってこれは Ethical だろうか」とよく思うようになりました。「自分にとって」というのが重要です。Ethical だと思える小さな判断を毎日積み重ねていけば、死ぬときに少しでも誇りをもって振り返ることのできる人生になるんじゃないだろうか。



とはいえ、最近よく思うこと。

何事もほどほどがいい、です。まったく節操がないのも論外ですが、あまりに極端に走りすぎるのもどうかと思います。エコが半分カルトのようになってきて、中間的なところにいる大多数の人たちにも倦厭されるようになったりするなら、それこそ本末転倒です。

私は個人的に化粧品等に使われる動物実験には強く反対しています。なので、多少高くても不便を強いられても、動物実験をしている企業・あるいはしていないと表明しない企業のシャンプーなどは買いません。

とはいえ、ベジタリアンではありません。動物を食べることには違和感がありません。

動物実験反対をうたう団体の中には菜食をすすめるところも多くあります。見方によっては私のこだわりは半端なのかも知れません。でも、みんなどこかでそうやって線引きをして、収まりのいいところで出来ることをやっていけばいいと思うのです。




自分が大事だと思うことが、他人にとっても大事だと思うのは、おこがましいことだ。

という言葉を尊敬する人から聞いた事があります。いつも頭においておきたいと思っている言葉です。

ちなみに今思いつく限りでの私の「こだわり」を下にあげてみました。ここはどうも譲れない、と思うレベルのことです。



出来ることからエコ。
  • 職場やモールなどでは、プラスチックのスプーンやフォークなどを出して使うようになっていますが、私はカトラリー(スプーン・フォーク・ナイフ)セットを常備していて、それを使います。日本では珍しくもないのかもしれませんが、こちらの友人たちには「何だそれ」と笑われます。でもゴミ箱に大量に捨てられたあの安っぽいプラスチックのカトラリーを見るにつけ、自分ので食べたほうが食事もおいしく感じる気がするのです。ちなみに軽量で結構いい登山用のカトラリーを使ってます。
こんなの。軽量チタン製。
  • 飲み物はThermos(いわゆる魔法瓶)です。自分でお茶やコーヒーを入れて持って行ったり、カフェに行くときもお店で渡すと買ったコーヒーをそのまま淹れてくれます。
2代目保温マグ。

  • 買い物にはエコバッグ。どれも似てるようで使い勝手に差があるので面白いです。
  • 他にもちょこちょこありますが、忙しさと反比例して手抜きになっていきます。気づいた時点でやれることをやるようにしています。
  • ただ、職業柄ハンカチを使うことがなくなりました。衛生上の観念から使い捨ての紙で手を拭きます。医療では使い捨てのものが多いのはやむを得ないのでしょう。

動物実験には反対。
  • これは、The Body Shop の啓蒙運動で知りました。シャンプーが目に入っても失明しないかどうかを調べるために、ウサギを固定して目がつぶれるまでシャンプーを垂らし続けます。癌の特効薬とかじゃなくて、シャンプーとか香水とかです。
見ることの出来ないような写真もたくさんあります。
  • これだけはどうしても自分的にダメです。動物実験をしているシャンプーとか買うくらいなら、なくても我慢します。
  • 欧米では割りと簡単に、「Not tested on Animals」などと記したものを買うことが出来ますし、ロゴも統一されているので、シャンプーだけでなく洗濯洗剤なども見つけやすいです。
  • Animal welfare に関して日本は先進国の中でも遅れているので、買い物に苦労します。なのでついついボディーショップのものが増えていきます。個人輸入してしまうことも。



装飾品など、プラスアルファのものは極力 Ethical に。 

例えばダイヤって、元を辿っていくと恐ろしいことにお金が流れてたりします。以前シエラレオネで、先進国からの無邪気な投資がこの絶望的な悲劇の燃料になっているということを知りました。

手足を切り落とされた人たちが住むキャンプで、彼らに「自分たちの写真を撮っていけ。国に帰ったらみんなに見せてくれ。」といわれたことも。


Blood Diamond(血のダイヤ)という映画には、先進国でのダイヤ消費をめぐる現実がよく描かれています。


レオナルド・ディカプリオ主演で、先進国へのダイヤ輸出のために引き起こされるアフリカの悲劇について描いた映画です。レオナルド・ディカプリオは実はかなり社会派です。頭いいなぁといつも感心します。

血のダイヤモンド

そういうわけで、私たちは結婚指輪を日本の職人がやっている彫金工房で手作りしてもらいました。チタン製の手作りで、出どころが分かるからです。

大きなダイヤのキラキラした指輪を見ると、私も普通に「綺麗だな、素敵だな」と思います。けれど私はシエラレオネの難民キャンプを歩き、手足を切断された人たちと話しています。なので、私たち夫婦はそういう選択をしました。出どころが分からない、ということが問題なのであって、そのあたりがしっかりしていればダイヤに罪はないと思います。

婚約指輪は・・・そういえばもらってない (´;ω;`)


幸い私たちは消費者として、大きな力を持っています。

ビル・ゲイツのように大きく世界を変えることはできなくても、一人一人が小さなこだわりを持って毎日を丁寧に暮らしていけば、必ず何かが変わるはずです。

 捨てられた雑誌を加工したネックレス。微妙な色合いと軽さが気に入ってます。

熱くなりすぎず、人に押し付けることもなく、でも「凛として、シンプルな」生き方ができたら、と思うのです。

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