アメリカでレーシック ①

さて、今日はレーシックについて書こうと思います。

私は、10年ほど前に両目のレーシック手術をアメリカで受けました。この手の施術って、受けた直後よりも、「10年後はどうなのよ?」って思うことが多いし、10年経ったくらいのレビューの方が熟成していい感じになる気がするので、一応書いてみます。

念のためにお断りしておきますが・・・10年の間にレーシック手術も大変な発展を遂げていると思いますので、今迷っている方の参考にはあまりならないかもしれません。そこは当時最先端と言われていた施術法はどんなんだったのか?という怖いものみたさで読んでいただけるといいかと思います(;^_^A

結論から言えば、レーシックは自分への投資としては満足度ナンバーワンに近い経験でした。


【眼鏡+コンタクト時代】

私は小学生くらいのころから眼鏡で、中学からはずっとコンタクトをしていました。他の家族は全員裸眼という健眼一家だったのに私だけが劣性遺伝だったのでしょうか。

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小学校高学年の時には、今としては何とも怪しい「視力回復センター」なるところに毎日放課後通い、目を動かす運動やまぶたに超音波を当てる治療を受けていました。当時月謝15,000円。親心だったとは思うのですが、放課後バスと電車を乗り継いで毎日通い、友達と遊ぶこともできないのが本当に苦痛だったし、視力ももちろん回復しませんでした。

高校時代にはハードコンタクトが目の中で割れて角膜損傷し、それをきっかけにソフトコンタクトへ移行。

成人後はソフトコンタクト使用中に角膜潰瘍になったりと怖い思いもしました。

やはり私のようなズボラーが目の中に異物を入れて生活するという時点で無理があったのかもしれません。

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それはともかく。大学時代~はバックパッカーであちこちを放浪していた私。

当時のコンタクトは毎晩煮沸をしなくてはならず、コンタクト関連の荷物の多いこと!

世界中の電圧に対応できるコンタクト煮沸機(コンセントに差し込んで毎晩ブクブクと煮る)を筆頭に、コンタクト洗浄液+保存液の2本の大きなボトル、たんぱく質除去のための錠剤なども必要でした。

こう言ったグッズは途上国では手に入らないことも多く、貴重な荷物の大きな部分をコンタクト関連のモノが占めていました。また、水道水が不安な国では、コンタクトのためだけにボトルの水を買って持ち歩いたり・・・

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また、一度はなんとコンタクトを滞在先で盗難にあったこともありました。人の使ったコンタクトを盗んで一体どうするのか? 謎です。

当時は毎日使い捨てのようなレンズはなく、1年くらい使い続けるタイプで1枚2万円くらいしたので、持ち物の中で一番高価、なおかつ必須のものだったのに・・・きっとコンタクトが何かも分からず持って行ったんだろうな・・・

その後言葉の通じない途上国で本当に不便をしました。

また、旅行中に煮沸機が壊れた友人は、毎晩片手鍋でコンタクトを煮沸したりしていました。

いやぁバックパッカー時代のコンタクトにまつわる苦労と言ったら・・・

あ、話がそれました。レーシックでしたね。

その後、アメリカに住み始め、ちらほらと身近でレーシックを受けたという人に会うようになりました。また、親族がオーストラリアでレーシックを受けて10年が経過(ということは90年代くらいに手術)したというのも大きいかもしれません。欧米のレーシック、進んでいる・・・と思い始め、経験者が一様に「本当にやってよかった」というのを聞き、思い切って受けてみることにしたわけです。


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またまた長くなりそうなので次回に続きます!

次回に続く:アメリカでレーシック ②


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